Aries.

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2010.08.21 Sat 『ツキアカリ』

園田文庫』のそのちーさまからいただいた、ステキ和風小説です♪










ツキアカリ


「……はぁ……はぁ……はぁ……」
 森の中を、一人の少女が走っていた。戦国の世の中、農民や百姓が着ることは決してない、とてつもなく華やかで美しい和服を着た彼女は、とある城の姫であった。
 木々の間からこぼれる月の光が彼女の顔の半分を照らす。相当な距離を走っていたのだろうか、履き物は破れて裸足で走っていた。着物の裾もまたズタズタに破れていた。
「お待ちください、姫。お待ちください!」
 どこからともなく声が聞こえてくる。だが後ろからではない。後ろから追ってくる者など一人もいない。声が聞こえてくるのは様々な方向からであった。右から、左から、それは木の上の方から聞こえている。姫はこの声の主から逃げていた。
「姫、もう諦めてください」
 どこから現れたのか。目の前に突然、その主は現れた。
 全身を黒い布に包んで、見える部分は目しかなかった。胸と腕には鉄の防具がつけられており、腰には沢山のクナイや手裏剣の入った木箱がぶら下がっていた。背中には、黒い鞘に収まった刀がすこし不気味に輝いている。城がよこした忍びであった。
 忍びは、ゆっくりと手を伸ばして「帰りましょう」と優しい声で言った。
「嫌だわ! そこをどいて。私はもう戻りたくない!」
 忍びの差し出した手を、姫は片手ではじいた。
 その弾かれた手を、忍びは驚いて見た。布だらけで表情が見えない顔であったが、動揺したのが分かった。
「どうしたのですか。いつもならこれで大人しく帰ってくださるのに」
 すこし困った様子で忍びは言った。これほど変わった忍びは見たことがない、と姫思った。姫が知っている忍びは、例え目の前ギリギリに刀の切っ先を突きつけられたとしても瞬き一つせずに動じないような、まるで感情のない怖い忍びばかりであった。
「さぁ、いつものように……」
 忍びは再び手を差し出した。なんでこんなに優しいんだか。
 いつものように。忍びがそう言う通り、姫はいつも城から抜け出していた。衛兵や門番が交代する間、違う方向を見ている間。ありとあらゆる隙を見つけては、姫は逃げ出していた。そして、この変わり者の忍びに毎回捕まって、城に連れ戻されるのだ。
 今日こそ本気で逃げてやろうと思っていた姫だが、すぐに捕まえられてしまった。忍びというのは猿や鷹よりも素早いんだなぁ、と姫は毎回思い知らされる。
 一歩も動かぬと主張するべく再びその手を払おうとしたが、二度目はなんだかかわいそうな気がしたのでできなかった。
 その代わり、自分なりの最大の反抗として、姫は腕を組んで忍びに背中を向けた。
「今日という今日はもう、限界なのよ。絶対、あたしはここをどかないから」
 ぷい、と姫はそっぽを向けたまま黙って腕を組んだ。真剣に怒っているのだが、ほっぺたはぷっくりと膨れていた。彼女の癖だ。
 姫は真面目にこの台詞を言い放ったが、心のどこかで忍びがどう言い返すのか少し期待していた。しかし、二分、三分と応答を待っても、忍びの反論は聞こえてこない。背後には沈黙が漂っていた。
「ちょ、ちょっと……」
 どうしたのよ。と振り返ろうとした瞬間、姫の体は空中にあった。忍びに抱きかかえられながら、すでに姫は城への帰路についていた。
「きゃっ!! ちょ、ちょっと、降ろしなさいよ!」
 城に戻りたくない気持ちも半分、まるで猿の様に木の枝から枝へと飛び移るのが怖いという気持ちも半分。
「聞き分けが悪いから、今日はこうやって帰りましょう」
 激しい運動をしているのにも関わらず、息一つ切らさずに、全く余裕そうな声で忍びは言った。その声は、どことなく楽しそうにも聞こえる。
「きゃっ!! こ、怖いよ、降ろしてよ!」
「だめですよ、逃げられてしまいますから」
「逃げないから、降ろして、降ろしてよーっ!!」
 姫の叫び声が夜空にエコーしながら、姫は無事に城へと連れ戻された。

戻ってからは、姫は城で散々なめにあった。老人達にとてつもなく長い間お説教を受け、父上は頭を抱えて「どうしたものか」と姫を呆れて見つめていた。もう、すっかり慣れてしまったのだが。
姫はそんなお説教の直後、慣れているとはいえ少し憂鬱な気分に浸りながら、自室に戻るべく城の外側の廊下を歩いていた。本当なら城の中を通って帰るのが近いのだが、こんな日は城の外の廊下を歩くのが好きだった。
城の表側から見える景色は、町の活気のある風景。姫がいま眺めている城の裏にある外側の廊下からは、姫がさっきまで逃げていた森が一望できた。
広大な森の中に、大きな湖がポツリとあり、そこに浮かぶ満月の月明かりが波に揺らぎ、まるで銀の粉を散りばめた様に輝いていた。それは、この城で最も美しいと言える風景で、これを知っているのは姫しかいない。どんなに悲しい気分になっても、この景色を見ると心は清らかになった。
そんな美しい湖の岸辺に、人がいた。城からは少し遠いので、詳しくはよく見えなかったが、紛れもなくそれは人だった。そこは一般人は立ち入れば処罰される領域であるため、狩りを楽しむ将軍以外が立ち入ることはない。町が闇に包まれるこの時間帯ならば、猛獣が多く将軍すら立ち入らない森なのだ。例外として姫が逃走経路としてよく進入するのだが。
いつもなら捕まったその日に城を抜け出すことはない姫だったが、突然、何かの好奇心に駆られて姫はまたしても城から抜け出した。着替えたばかりの新しい着物のままで。

 湖にいた人間は刀の練習をしていた。練習をするのに邪魔なのであろう、上着は岸辺に脱ぎ捨てられ半裸であった。見るからに男である。しかし、まげがない。長い銀色の髪を頭の後ろで結んでいる。刀の練習をしているが、武士ではないようだ。
 姫は、木に隠れてそれを見ていた。最初、無我夢中で刀を降っていた男だったが、しばらくするとその動きを急にピタリと止めた。そして次の瞬間、
「何者だ!」
 と、姫の方向に握っていた刀を投げ槍のように投げた。
「きゃぁっ!」
 姫はとっさに身を隠した。刀は木にサクリと刺さり、貫通して隠れていた姫の顔の真横に突き出た。
 姫は逃げようとしたが、次の瞬間男に阻まれる。
 男は見事な体術で体の自由を奪い、背後から羽交い締めにされて首筋にクナイを突きつけられた。
「貴様、どこの忍びか!」
 男は、姫の関節に少しずつ負荷をかけながら言った。とても荒々しい口調であったが、その声には聞き覚えがあった。
「あたしよ……!」
「ひ、姫様!?」
 湖にいたのは忍びであった。忍びは、パッとその手を離すと、必死に謝りながら怪我はないか、痛いところはないかと一生懸命になっていた。
「大丈夫よ。どこも怪我してないわ。それに、抜け出してこんなことしてた私も悪いのよ」
 着物についた土を払いながら姫は言った。
「安心しました……。姫に何かあったらと思うと……」
 布に隠された顔は、こうして布なしでみるとさらに感情的であった。それは、姫を傷つけたことによって自分が処刑されることを免れたという安心ではなく、本当に姫の身が無事で安心したという顔だった。
「あなた……あたしの目付け役の忍び……よね?」
 木に刺さった刀を抜き、鞘に納めた忍びに、姫は言った。幼い頃からずっと姫のそばにいた忍びであるが、素顔をみたのはこれが初めてであった。忍びには、自分の名前を他人には開かしてはならないという決まりがあったので、姫は「忍び」と呼ぶしかなかった。
「はい。私はあなたの忍びですよ」
 さっきの怖い声とは打って変わった、いつもの優しい声で忍びは言った。とても暗殺や戦をしていなさそうな優しい顔だった。
 姫は履き物を脱ぎ捨てて、素足を湖の水面に浸して岸辺に座った。
「もっとゴツい顔だと思ってたわ。案外美青年なのね……」
「いえいえ、そんなことは。私はもう二十四ですよ、青年とは言えませんね」
「そうかなぁ。ちなみにあたしは十七よ」
「承知しております」
 そう言って、忍びは再び湖の浅瀬へと入っていく。
「あら。今日はあたしを連れ戻さないの?」
 もう本気で逃げても逃げられないことは十分承知なので、姫は逃げずに待っていた。しかし、忍びは連れ戻そうとする素振りは一切せずに再び刀の練習を再開したので、なんだか調子がくるってしまった。
「今回は連れ戻すよう命じられていませんから」
 刀を振りながら、忍びは言った。
「ふぅ〜ん」
 そういいながら、姫は足で水面を蹴った。すこし詰まらない、そう思った。
「……そういう姫様は、お逃げにならないのですか」
 相変わらず前を向いて空を斬る忍びは言った。
「そんな態度とられちゃうと、なんだか調子くるっちゃうわよ、いいわ。ただし今日は」
 それを聞いた忍びはくすりと笑って姫の隣に座った。
「姫様は、なぜこのお城を抜け出したいのですか?」
「なにそれ、父上様に命令されてるの?」
 いえいえ、そんなことは。と忍びは少し焦って言った。
「ただの興味ですよ」
 そして先ほどの疑問を再び言った。
「だーかーらぁ、私は幸せになりたいのよ」
 前にも説明したじゃない。と姫は付け加えた。
「毎日あれほど裕福にしていらっしゃるのに?」
「あなた、いつも私を天井裏で監視してるんじゃないの。あの暮らしが幸せに見えるわけ?」
「ええ。いつも殿やお侍様方には楽しそうに笑っていらっしゃる」
 鈍感ね、と姫は眉間を押さえた。父上や他の将軍に対してはみな作り笑いであることを、幼なじみと言えるほど長い間一緒に生きてきた忍びにはせめて分かってもらいたかった。
「作り笑いに決まってるじゃないのっ!」
「そ、そうだったのですか」
「なんていうか……裕福だからって幸福ってわけじゃないのよ」
 うまく説明できずに湖の水面を見つめる。満月が鏡のように映って綺麗だ。そう思うのと同時に、座っている自分と忍びとの二人の距離が異様に近いことに気づく。肩と肩がくっつくか、くっつかないかのわずかな距離だった。
 無意識にこの距離で座っているとは、よっぽど自分達は仲がいいのだな、と姫は思った。
「私は非人からこの城の忍びの者になったのですが、非人は辛いですよ?」
 姫はボーッとしていたので、忍びの言葉に思わずビクリとしてしまった。
「あ、あたしよりあなたの方が幸せよ。私が生まれたときから持ってる富よりも、あなたがこれから苦労して手に入れる富の方がずっと価値があるわ」
 とりあえず力説してみることにした。
「…………」
「最初から何もかも有るよりも、自分で努力して得る方がずっといいもの。あたしは普通の農民とかに生まれたかったわ。自分で稲を植えて、お米作って、食べて……ほとんど税で取られちゃって貧乏だけど。でもその方があの城の人生よりもずっと充実してるわ」
「……は、はぁ……」
「……わかる?」
「……姫様は、農民になりたいのですか?」
「そうよ!」
「っははは、面白いことを言いますね!」
「な、なによぉっ! 私は本気で言ってるのよ!」
 頬を膨らませて、姫は足をバタバタさせた。足は湖に浸かっていたので、水がバシャバシャと飛び散った。そうして溜まった一時的な怒りをある程度発散させた上で、姫は頬を膨らませたまま背中を向けた。
「今は分かりませんが、いつか絶対理解してみせます」
 まだ少し笑いながら忍びは言った。
「いいわよ別に、どうせあたしは変わり者よ」
 分からないわよねー、そうよねー。と姫はがっくりとうなだれる。
「拗ねないでくださいよ、困ります」
 忍びはどうしていいのか分からず困った様子で、そっぽを向く姫に言った。しかし、姫は黙ったままうなだれる。
「あ、でも、私もまったく裕福でありませんがとっても幸せですよ」
 しばらくしてから、思いついた様に忍びは言った。
「……なんでよ」
 姫は少し食いついて振り返った。
「こうやって忍びになれたことで、ずっと死ぬまで、お側で姫様をお守りできるからです」
「な、なによそれ」
 また姫は背中を向けてしまった。怒ってはいなかった。頬は膨らんではいなかったが、自分でもびっくりするほど紅潮していた。
「あれ、いけないことでしたか?」
 忍びは姫が恥ずかしがっていることを理解していなかった。また怒らせてしまった、と焦っている。
「いけないことはないけど……。き、気持ち悪いわよいきなり」
「そ、そんな」
 忍びは真っ青になった。よっぽどショックだったのだろう、隠すことなく全力で驚いた。
「あっ、その、えっと、別にそう言う意味で言ったわけじゃないのよ!?」
 ひどく落ち込む忍びに、姫は慌てて弁解した。
「わ、私はただ正直な気持ちを言っただけなのに……」
 今度は逆に忍びが落ち込み始めた。
「ただの照れ隠しだから、気にしないで!」
 子供のように感情の差が激しいなぁ、と改めて姫は思う。
「す、すいません。真に受けて……」
 ほっとしたようにため息をついたかと思うと、忍びは立ち上がって浅瀬へと入っていった。
「なにするの?」
「醜いなんて言われた後ですし、かっこいい所を見せないと。醜いまま帰りたくないですから」
 醜いなんて、別にそこまでひどいことは言ってないんだけど、と姫は思った。
 忍びは、少し離れた場所から姫の前立って、姫の方を向いた。刀を抜いて、その切っ先を軽く足下の水面につけた。忍びは、その切っ先を自分を中心に円を書くように振りあげた。その軌跡からは水が飛び上がり、忍びの前でキラキラと月の光が反射して宝石の様に輝いた。忍びはそのまま刀を水平に振ると、刀が月光で輝いてそこに一筋の閃光が現れた。水しぶきはその閃光に共鳴するようにさらに輝きを増した。
 その幻想的な光景に姫は完全に心を奪われた。しかし、次の瞬間目を疑うような現象が起こる。
 忍びが、数人いる。キラキラ輝く水の向こうに、忍びが数人見える。一体何人いるのかははっきりとは分からないが、どれが本物の忍びなのかも分からなかった。
 しかし、その光景は水しぶきが落ちるのと同時に消え去った。一瞬の出来事だった。そして、そこには忍びの姿はなく、誰もいなくなってしまった。
「え!?」
 上下左右、すべてを見回したが忍びはいない。湖の中に隠れたのかと思ったが、それほど深くないのでその可能性もなかった。
「どうでしたか?」
「きゃっ!!」
 背後から声がしたのでびっくりして姫は振り返った。忍びは姫の背後にいたのだった。
「びっくりしたぁ!でもすごい綺麗ね!今の忍術なの?!」
 姫は興奮して忍びに訊いた。忍びは自慢げな顔をしている。
「そうですよ、分身って言うんです。私だけが使える忍術なんですよ」
「忍びってすごいのね!そんな技ができるなんて。どうやって私の後ろに一瞬で行ったの?」
「う〜ん。光の反射とかを利用して……。あ、ちなみに私が刀を水平に振った時には、もうすでに私はいませんでしたよ」
「え、なんで!?」
「詳しい種明かしはできません」
「そんなぁ」
 そう言ってまた頬を膨らます姫を見て、忍びはなんだかおかしくなって笑ってしまった。
「な、なによ」
「いえいえ、あまりにも姫が興味を持ってくださるので、なんだか面白くて」
「いいじゃない、すごいんだからっ!」
 赤くなって姫はそう言ったが、忍びは笑うのをやめなかった。
「んもう……」
 姫はまた背中を向けてしまった。忍びは、また少しクスクスと笑って、月を見上げた。忍びの顔は、なんだかとても楽しそうに見えた。
 忍びのその楽しそうな顔を見ると、昔の思い出が頭の中に甦った。そう言えば、姫と接している時の忍びは、嬉しそうに見えた。
 まだ忍びが少年で、忍者としてまだ未熟だった頃、姫はまだ七歳で、忍びは遊び相手であった。忍びはいつも嬉しそうに姫といろんな遊びをしていた。そう言えばその頃は顔は布に隠れていなかったが、その当時の顔は思い出せなかった。そして時が過ぎ、忍びが一人前の忍者になった頃、姫は十三歳の少女であった。その時にはもう、忍びは立派な暗殺者として、姫を敵から影で守る使命を持っており、忍びはその頃から姫の周りからポツリと消えた。姫が用事で外に出る時、戦の時、抵抗力を持たない無防備な姫を暗殺しようとする敵から、忍びは守り続けていた。
 そう言えば、城を抜け出し始めたのもこの頃だった。と姫は思い出す。抜け出しては忍びに連れ帰され、抜け出しては忍びに連れ帰され、の繰り返しの日々だった。
 もしかして、と姫ははっとする。農民になりたいだとか、そう言って勝手に理屈をこねて、私が城を抜け出す本当の理由は……。
 姫は一瞬考えたが、それ以上何も考えないことにした。もしも自分がこの答えに気づいてしまったら、自分はもう城を抜け出すことをやめてしまうような気がしたからだ。
「姫様」
 忍びは姫に向かって微笑みかけた。
「うん?」
「かっこよかったですか」
 忍びが差し出す手を握って、姫は笑顔で頷いた。人を殺すのには似合わない、大きくて、暖かくて、優しい手だった。
「かっこよかったよ」
 と、思わず本音で言ってしまった言葉に、忍びは照れたのか顔が赤くなった。そんな本音を言った自分も恥ずかしくなってまた顔が赤くなる。
「……なんてね!」
 その握った手を思い切り引いて、忍びを湖へと突き落とす。照れ隠しに湖に落とすのはちょっとやりすぎか、と姫は思ったが、忍びが口に入った水にむせながら立ち上がろうとする間に急いで履き物をはいて、姫は全力疾走した。
「そ、そんな、ひどい!」
 なんとか状態を立て直して、状況を理解した忍びは思わず叫んだ。
 頭をプルプルと振って、急いで上着を着て顔を隠す布を被った忍びは「よぉし」と姫に向かって走り始めた。
 姫は森の中をまた全力で走る。ただし、今度の顔はとても笑顔だ。
 このままでいい。このままずっと二人で、この月明かりの下で、いつまでも追いかけっこをしていれば、それでいい。と、忍びに予想以上に早く捕まって腕の中ではしゃぐ姫は、そう思った。
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