Aries.

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2012.02.11 Sat 闇の眷族、みたいな、アムリタの子供。

というわけで、ミズマ。さまにうちの吸血鬼でお話を書いていただきましたっ!ヾ(´∀`*)ノ

お許しをいただいたので、追記よりまるっと転載いたします。どどーん☆







   アムリタの子供

「運命の相手に出会ったかもしれない」
 宗太はいつも突然だが、今日の突然は、あまりにも突然すぎた。
 昼休み、人気のない屋上で共に昼食をとっていた浩来と夕里は、思わずその手を止め、顔を見合わせた。
 だがそれも数秒の数秒のこと。彼らは再び箸を動かし始める。
 あれ? と首を傾げる宗太。
「なんか、反応とかはないの?」
 窺うように様子を見ても、夕里の箸は止まらない。とろりとした餡のかかったミートボールは誰かに奪われる前に彼女の口の中に消えた。
「なんか、とか言われても」
「おまえの世迷言は今に始まったことじゃないし」
 がぶりと惣菜パンに齧りついた浩来はあっさりとそんなことを言う。
 この中学校では給食はなく弁当制だ。売店の横には学食もある。メニューは日替わり定食のAとBのみ。学生たちの栄養バランスを考えたもので、なかなか手堅い内容だ。それとはうって変って、売店で発売している惣菜パンは変化球が多かった。焼うどんパン、肉じゃがパン、鮭定食パン、等々。毎日のようにその種類は変わり、増えていく。
「……ペペロンチーノパン、か、それ?」
「ボンゴレロッソパン」
「美味い?」
「汁がパンに染みててびしゃびしゃで、どっちかっつーと、マズイ」
 白いパスタが挟まったパンをもそもそと食べる浩来。
 マズイマズイと言いながらも、毎日のように変わり種の惣菜パンを食べている理由は、
「全種類コンプリートしたいと思うのが人の常だろ」
 とのことだが、毎日のように種類が変わる惣菜パンを全種類コンプリート出来る日はくるのだろうか。それを作っている学食のおばさんですら、その種類を把握しているとは思えないのに。
「卒業までにコンプできなかったら、ずっとここに通う気なの、あんた」
「……その手があったか」
「本気だよこいつ」
「まあそれはそれとして、だ。おまえら、俺の話を聞け。正座して聞け」
「ここ、床、コンクリなんですけど」
「どんな拷問」
「あれは俺が塾に行く道すがらの出来事だった」
「いやまだ正座してないけど」
「胡坐でもいいんじゃね?」
 浩来と夕里が見守る中で、宗太は熱く語り出した。
「駅の向こうの繁華街の向こう側にある塾には、いつも大通りの方から迂回して通っていたわけだが、昨日は遅刻しそうになっていて、やむを得ず駅を通って最短距離を行ったわけだ」
 その言葉に、聞き手の二人は慄然とする。
「ちょ、おまえ!」
「紛争地帯を通ったのかッ!?」
 現代日本に紛争地帯などあるわけがない。
 彼らが住む町の駅を挟んだ向こう側には、繁華街が広がっている。怪しげな雑居ビルが立ち並んでおり、中学生である彼らが面白半分にでも足を踏み入れるのは躊躇われる場所だ。だが、だからといってそこが紛争地帯と呼ばれる理由にはならないだろう。
 その繁華街では、毎日のように銃撃音や爆発音が響いているのだ。
 ガス爆発だとか不発弾が出たとか、その度に説明が出されているが、そんなことを素直に信じる住民はそういない。繁華街の覇権を巡るヤクザ同士の抗争だと専らの噂だ。
 実際に怪我人や死人が出たという話は聞かない。
 だが銃撃音や爆音は毎日のように響いてくる。
 物騒この上ない繁華街はいつしか紛争地帯と呼ばれるようになっていた。
「その紛争地帯の、S級危険指定ビルの前を通りかかったとき、俺は出会ったんだ」
「え、ちょ、おまえ!?」
「あのビルの前通るとか……正気かッ!?」
 紛争地帯の中でも、特に注意が必要なのがとある雑居ビル。
 そのビルで常にどこかが改装中となっているのは、紛争の中心がそのビルであるからだと言われている。
 ここらの小中学生の間では、あのビルの壁面に触れて戻ってこられれば、それだけで「勇者」の称号が手に入る。
「息を切らせてあのビルの横を走り抜けようとしたとき、横手からサッと現れたのが、俺の運命の相手、超美少女だった」
「ほー」
「へー」
「ちょっと茶髪でぇ、色白でぇ、小柄でぇ、ちょっと釣り目っぽくってぇ、清楚な感じでぇ、なんて言えばいいのか……絶滅危惧種に出会ったような」
 くねくねと身をよじる宗太。
「一瞬見ただけで、ビビッときたね。彼女と俺の、運命を!」
 その言葉に浩来と夕里は再び顔を見合わせる。
「それってさ、別に美少女さんの方はなんとも思ってない可能性が高い?」
「向こうもそう思ってたら宗太のこと呼び止めてるだろ」
「ビビッときた後、どうなったんだよ」
「どうって、遅れそうだったから、そのまま走って塾に行ったけど?」
「けど、じゃねぇだろ! そこは美少女に声かけるのがスジだろ!」
 ばしん、コンクリートの床を叩く浩来。だが宗太は項垂れず、浩来をビシリと指差した。
「そこだ!」
「は?」
 そしてパチン、と両手を合わせる。
「頼む! 一緒に紛争地帯に行ってくれ! そして、もう一度超美少女を、俺の運命の相手を一緒に探してくれッ!」
「……あー、夕里の弁当、美味そうだよな」
「見た目だけはね。ほら、私すごいアレルギー持ちだから、普通の食べもんは中々体に合わないんだよ」
「普通って、ミートポールとかおにぎりとか入ってんじゃん」
「ミートボールは肉じゃなくって、なんか変な豆つぶしたやつだし、かかってるタレは変なハーブで作ったやつだし、おにぎりも米に見えてこれ、白い実かなんかを潰して固めたやつだけど」
「ちょっと味見さして」
「パクチーとか大丈夫だっけ?」
「無理」
「じゃあやめといた方が良い。見た目は良くても味は壮絶」
 そう言いながらも食べ進める夕里の顔色はいたって平坦。
「私はもう慣れたけど。っつーか、あんたに弁当やると私の昼飯が減るでしょ。そもそも却下ね」
「ケチー」
「じゃあ今度、浩来の分も作ってもらってみよっか」
「マジで?」
「その代わり、数学の宿題代わりにお願いね。対等でないとアカンでしょ」
「櫂さん、よくおまえみたいなヤツの面倒見てくれるよなぁ」
「ま、遺産はガッポリ入ったからねぇ。保険は大事だから、ちゃんとしといた方がいいよ」
「おまえが言うと重みが違うよなぁ」
「って、聞けよー! 俺と一緒に紛争地帯行こうぜー!」
 じたばたと騒ぐ宗太。
「言葉だけ聞くと、海外青年協力隊のスカウトみたい」
「あ、予鈴鳴ってね?」
「マジか。戻らないと。次移動教室だっけ」
「ほら、宗太も行くぞ」
「……へーい」



 キリヤマは、大事な客人の相手をしていた。
 数多くある天羅の屋敷の中でも街中にあるそこは、他の屋敷と比べて敷地が狭い。とはいっても小規模の学校程度の敷地面積はある。庭園もあれば池もある。当然のように鯉も泳いでいる。
 街の郊外にあるその屋敷に、所有者である天羅は数えるほどしか訪れたことはない。その屋敷は天羅のためというよりも、彼以外のものの為にある屋敷だった。
 彼というよりも、彼ら以外の為に。
 その屋敷に毎週、自転車で通う子供がいた。
「……ってことがあったんだけど」
 空が宵闇に包まれる頃合い。屋敷の奥まった一室で、キリヤマはいつものように彼女の相手をしていた。
 脱ぎ捨てられたカーディガンを丁重な手つきでハンガーに掛け、そしてため息をひとつ。
「若いって、いいですね」
 そう言うと少女、ユリは「はぁ?」という顔をした。
「十分若いじゃん、キリヤマさん」
「いえいえ、こう見えて結構おじいちゃんですよ、私」
 そう笑う顔にはシミどころかシワひとつない。常に控えめなキリヤマが銀縁の眼鏡で隠すようにした顔はびっくりするほどに整っていて、若々しい。
 その顔で「おじいちゃん」だと言われても、ユリとしては承服しかねる。
「キリヤマさんが?」
「ええ」
「恋の話なんて、ここ数十年ご無沙汰です」
「ラブラブじゃん、奥さんと」
「あれは恋ではなく、愛ですから」
「……こういう場合、うら若き乙女としてはなんて返せばいいのかな」
 ユリはブラウスの左腕を乱暴に捲る。肘より上までめくると、いつもの椅子の座り、いつもの台の上へ腕を乗せた。
 そこにキリヤマは銀のワゴンを押してくる。
 ワゴンの上には、銀色に光る機材がいくつも乗っている。
 その中から黒いチューブを手に取ると、キリヤマは有能な彼に似合わないため息を落とした。
「毎度のことですが、気が乗りませんね」
「なに言ってんの。私の稼ぎがなくなっちゃうじゃん! 死活問題なんだけど」
「ですからそれは、天羅が後見人となりますと、何度も申し上げています」
「それじゃ嫌だって、私も何度も言ってるし。それとも、もう需要なくなったとか?」
「……そうです、と申し上げられたら良いんですけどね」
 キリヤマは苦笑。
「年若いあなたの血は、我々の間では高レートで取引されていますよ。相変わらず」
「でしょ! そりゃ、毎日食事にまで気ぃ使ってもらってるもん」
 ユリの両親は、彼女が小学五年生の頃に死んだ。
 事故死だった。
 彼女は天涯孤独の身となった。それを引き取ったのはとある孤児院。そこの院長が生前のユリの両親と知り合いであったらしい。
「キミのご両親には、随分お世話になってねぇ」
 そう言って笑うのは天羅と呼ばれる壮年にさしかかった男だった。アロハシャツにハーフパンツという、院長という肩書から遠くかけ離れた姿で現れた、その胡散臭い男にユリは開口一番に聞いた。
「父さんと母さんが、死んだ理由を教えて下さい」
「理由って……聞いてないかな、事故だって」
「信じない」
「いや、こりゃまいったな」
 天羅は頭を掻く。
 そんなやりとりが何度か、数十回以上繰り返されれば、さすがの天羅ものらりくらりとかわしていられなくなった。
 ユリが中学校へあがったときに、天羅は彼に全てを伝えた。
「キミのご両親はね、事故で亡くなったんだよ」
「だから、それは違うって」
「吸血鬼同士の抗争にね、巻き込まれたんだ」
「……へ?」
 天羅は語った。
 この世界には吸血鬼がいるということ。
 自分が吸血鬼の総領のひとりであること。
 ユリの両親は吸血鬼に血を提供する人間であったこと。
「その代わりに我々は彼らを庇護していた。そういう人間のことを、我々はエリクサーだとか甘露だとか金丹だとか、アムリタだとかって呼んでいる。
 血を吸い、吸われる関係であったけれど、対等だったのだよ。私たちと、キミのご両親とは」
 そしてユリの両親は血を提供した帰りに、吸血鬼同士の抗争に巻き込まれた。天羅が裏から手を回し、ただの自動車事故として処理したが、それは紛れもなく、天羅の不手際によって招いた事故であるということも。
「すまなかった。私が今更なにをどうこう言っても遅すぎるのは分かっている。だが、本当にすまなかった」
 天羅は深々と頭を下げる。
「こんなことでキミに対しての謝罪になるとは思っていない。だが、私にできることがあるならば、なんでも言って欲しい。全力で、キミの力になろう」
 こちらに向けられた、ちょっぴり薄くなりかけた天羅の頭頂部を見ながら、ユリは頬をかく。吸血鬼でもハゲんのかな、などと思いながら口を開いた。
「……あのさぁ」
「なんだね」
「その、アムリタってやつ。私にもなれる?」
「……え?」
 思わず顔をあげる天羅。
「だからね」
 ユリは天羅の目をじっと見た。底の知れない不思議な色の目。今まで特に気にしていなかったけれど、吸いこまれそうな、吸い取られそうな色だと思った。
「私、腹立ってんだよね」
 怯む足は下がろうとするが、腹の中の苛立ちがそれを制する。
「いいんだよ別に。二人がなにしてたかとかは。父さんも母さんも浮世離れしてた人だったから、なんかあるな、とは思ってたし。それが吸血鬼の餌だったとは思わなかったけど」
「餌というのは語弊があるぞ。我々が主に摂取する血液は献血機関から回してもらったものだ。アムリタの血は嗜好品に近い!」
「私が腹立ってんのはさ」
 天羅の弁明をユリはぴしゃりと押しとどめる。
「父さんも母さんもそうだけど、あんたとかキリヤマさんとか、他の大人たちが全員、私にずっと黙ってたっつーのが、どうにもムカつくんですけど」
「……だからって、自暴自棄になるのはどうかとおじさんは思うよ?」
「ヤケになってあんたらの餌になろうなんて思ってないし」
「じゃあ、どうして」
「この状況が嫌なんだよ。両親、やっぱり事故じゃないじゃんか。むしろあんたたちと関わった時点で自業自得。それなのにどうしてその遺児の私が、天羅に庇護されるの? そのハゲかかった頭まで下げてさ。それってあんたの自己満足。その中で暮らしてくなんて、どうにも居心地が悪い」
「だがユリくん。現実問題、子供は大人の庇護なしで生活してはいけないだろう」
 そっと頭皮に手を当てながらも、言い含めるような優しくも断定的な声音の天羅。それに対して、ユリはゆっくり言葉を切って喋る。
「あんたはさっき言ったな。血を吸い、吸われる関係であったけれど対等だった、って」
 彼は言った。
「手段があるのに、対等でいられないのが、私は嫌」
 その後、随分と粘った。ユリも、天羅も。
「痛いよー、怖いよー、血ぃ、抜かれちゃうんだよー、ガブリ、だよー、やめよーよー」
「うるさい! やるったらやるの!」
 ユリの決意は固かった。
「……子供を、しかも美少女を囲ってるってのは、対外的にもあんまり良くないんだけどなぁ」
「なんで?」
「イメージ的にさ、イタイケな子供に手ぇ出した、イケナイ大人みたいじゃない」
「それは私の責任範囲外。頑張って、オジサマ」
 こうしてユリは天羅の庇護の下、アムリタの子供となった。
 吸血鬼の好む血になるために食事も完全管理下に置かれた。ファストフードやカップ麺など、中学入学以来口にしていない。次第に吸血鬼にとって「いい血の匂い」をさせるようになったユリは孤児院を出ることになった。
 元々、親を亡くしたり、親元を離れなければならなくなった吸血鬼の子供のために作られた孤児院だったためだ。いつ何時血を吸われるかわからない環境では、満足に休めるはずもない。
 ユリは彼の食事管理をする天羅お抱えのシェフ、カイの下へ転がり込むこととなった。
 彼も吸血鬼であるが、
「自分の料理を途中で食べようとは思わなねぇし。それ以前にこんなちんちくりんじゃ××が××だから、安心しろ」
 彼は食材から自分で作るタイプのシェフだった。ちなみにユリはカイの下で暮らすに当たり、食事以外の家事全般を引き受けている。
 口も悪いし態度も悪い。不良コックの名を欲しいままにしているカイだが、腕だけは良い。毎度毎度出てくる食事はクセこそあるが、見た目も味もかなり良い。飲み水すら彼の管理の下に置かれている状況だが、これで生活の糧を得ているということを差し引いても、随分と良い待遇のような気がユリはしている。
「でもさ、コックなのに煙草は良いわけ?」
 ある日ユリは、ブリーチのやりすぎでバリバリに傷んだシルバーグレイの髪をピンで適当に止めただけというなんとも言い難い髪形をした腕利きのコックに聞いてみたことがある。
「あぁ? ちんちくりんのクセして俺の唯一の楽しみにクチ出すってか。いい度胸だなぁオイ、××すんぞ」
 ぐるり、とユリを睨みつける双眸はアイスブルー。シベリアンハスキーみたいだな、とユリは思う。大型犬なだけあって、睨まれると本気で怖い。マジで怖い。
 カイは極度のヘビースモーカー。だが煙草を吸うときはいつもベランダ。
(もしかしなくても、私が一緒だからベランダで吸うようになったんだろーなぁ)
 雪の降る真夜中も、かんかん照りの真夏の昼でもベランダで煙草をふかすカイ。
 それでも彼の体からは僅かに煙草の匂いが香るだけで、吸っている場面を見なければ彼が煙草を吸うとは誰も気付かないかも知れない。
「どうやって消臭してんの?」
「企業秘密。まぁ、女の××で××が××だから……」
「って、伏字禁止ね! 私まだ未成年じゃん! 教育上ダメでしょそういう単語はぁッ!」
「最近のチビっ子は遅れてんなァ」
「あんたが光速すぎるだけ!」
 そう言うと、カイは話をここで無理やり終わらせようと、ユリの頭を両手でぐちゃぐちゃにかき回す。
「ちょ、馬鹿! やめろ!」
「うるせーですよ、チビっ子」
 どうも、子供扱いどころか仔犬扱いされているような気がしてならない。
「ダックス……じゃないな。雑種のチビってとこか」
「私も血統書付きが良い!」
「持って生まれたモンだからな、こればかりは。可哀そうになァ」
「超笑ってんじゃん! ってか、カイだって髪の毛染めてんでしょ、それ!」
「地毛ですー」
 絶対嘘だ、と思ってキリヤマに確認してみた。絶対違うと言ってくれると思っていたのに、予想に反してにこやかに頷いたのでユリは我が目を疑った。
「ええ、地毛ですよ」
「嘘ぉ」
「ついでに言えば、目の色も天然です」
「……素でシベリアンハスキーなんだ」
 ユリがそう呟くと、キリヤマは虚を突かれたように目を見開き、そして弾かれたように笑い出す。
 常に冷静さを失わないキリヤマが爆笑している。
「くっ……ふふ、シベリアンハスキー、ですか、くく」
「だ、大丈夫? なんか、ヘンなツボに入った? 働きすぎて変になった、とか」
「い、いえ……だ、大丈夫です」
 キリヤマは、はー、と、大きく息を吐くと、目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
「一年分ほど、笑わせていただきました」
「どこがそんなにおもしろかったのかね、これ」
「後でカイに確認してみたら良いと思いますよ」
 くくく、とキリヤマの口からはまだ笑いが漏れている。
 案外笑い上戸なのかも知れない。
「もうそれはいいから。ほら、採血!」
 ブラウスを捲り上げた左腕は既にいつもの台の上に乗せている。
 アムリタが血液を提供する方法は二種類ある。
 直接吸血されるか、それとも献血同様に器具を使って血液パックに血を分けるか。
 吸血鬼が直接吸血をする際には相手を恍惚、或いはそれに準じた状態にするのが基本だ。肌を傷つけるときの痛みを和らげるためでもあり、吸血に対する嫌悪感を抑えるためでもある。ただこの方法は両者が親密な場合に行われるのが普通である。そのまま別の行為になだれ込む、もしくは別の行為の最中に吸血が行われることも多い。吸血鬼と恋に落ちる人間は元々アムリタであったものが多いのはこのためでもある。
 普通のアムリタが血を提供する場合には、献血と同様の方法をとる。
 未成年であるユリが血を提供する際には、当然その方法となる。アムリタとなって何年か過ぎたが未だにその身に牙を突き立てられたことはない。
 吸血鬼に血を提供する、というとなんだかおぞましい気もするが、
(献血と同じだもんなぁ)
 ボランティアと同じだと、今ではすっかり思っているユリであった。
 アムリタの血はそれが少し香るだけでも吸血鬼にとっては唾が湧き出すものだという。その血を採取するのには気を使う。ほとんど人間以外は立ち入らないこの屋敷でユリの血を採取するのはその為だ。しかし、採取し、しかるべき場所に運搬するものが吸血鬼たるキリヤマなのは、
「採取の最中や運搬中に他の吸血鬼に襲われる場合を考えてのことです」
 だからこそ、天羅の秘書として多忙を極めるキリヤマが月に何度か屋敷に訪れるユリの相手をしているのだ。
「本来であれば、ゴウダにこの役割を任せたいところなのですが」
「なんで?」
「彼、特別な血以外は飲めないので。ユリさん、ゴウダに採血任せたいですか?」
 問われてユリは思い描く。大きな体に鋭い双眸。そしてたどたどしく、気弱で、ネジが何本か抜け落ちてるどころか入れる穴すらないような男。
 どう考えても、器用そうには見えない。
「……ムリっす」
 今まで何度か屋敷までの送り迎えをしてもらってことがあるが、あの調子で腕に針を刺されると思うとぞっとする。
 だが一方のキリヤマは、ごく普通の吸血鬼のはずだ。
「キリヤマさんは、ええと、喉渇いたりしないわけ?」
「あのですね」
 彼はかたり、と器具をワゴンの上へと置いた。やれやれという顔をして、眼鏡を押し上げる。
「自分の娘のように可愛いあなたの血を、私が啜りたいと思うわけがないでしょう」
「そこは、ありがとうって言うべきなの?」
「ですから、こんなこと辞めて下さい。天羅の保護が嫌であれば、私が後見人を務めさせていただきますよ」
「それとこれとは話が別だし」
「やはり、流されませんか」
 苦笑するキリヤマ。ユリは当然だ、という風に笑った。



 部屋の中では濃厚な血の匂いで溢れている。血液はユリの腕からチューブを通って、一滴残さずパックの中へと流れていくが、吸血鬼の嗅覚は人のそれより何倍も鋭い。
 だがキリヤマは先刻もユリに告げたように、この血を飲もうとは少しも思わない。
(赤ちゃんの頃から知っていますしね)
 カイの味付けが自分の趣味ではないことも大いに影響があるのかも知れないのだが。
 採血中、暇を持て余したような様子だったユリは、ふと声をあげた。
「あ、そうだ」
「なんです?」
「今度さ、その友達と紛争地帯、じゃなくて、駅の向こうの繁華街に行こうってことになったんだけど」
 その言葉にキリヤマは眉を潜めた。
「あまり感心しませんね。あの辺りは私たちの仲間が出入りしますから」
「宗太ってヤツが一目惚れした子を探すんだけどね」
「私の話、聞いてましたか?」
「その子ってさぁ」
 ユリは上目使いでキリヤマの顔を見た。
「ゴウダくんの想い人なんじゃないかなぁ、って」
「……」
 押し黙るキリヤマ。
「聞けばさ、アキちゃんだっけ、私らと同い年ぐらいなんでしょ? たしかいっつも改装中のビルにその子住んでるんだよね。どう見てもおじさんのゴウダくんより、宗太の方が勝ち目ありそうなんだけど。この話、ゴウダくんにしたらダメかな? 焦ったゴウダくんが幼年期から思春期通り越して、ソッコーで大人になるかもよ?」
 身を乗り出して喋るユリに対し、キリヤマは眼鏡を外して眉間を指で揉みしだく。ふー、と長く息を吐き、
「あの、ユリさん」
「なに?」
「これ以上、私の悩みの種を増やすのはやめていただけませんか」
「えー、つまんなーい」
「つまらなくて結構です」
「じゃ、かわりに天羅のおっさんにメールしよっと」
 スカートのポケットからストラップがごちゃごちゃと付いた携帯電話を取り出すと、徐に操作を始める。キリヤマは慌ててその携帯電話の液晶画面を手を覆う。
「ちょ、ジャマ」
「天羅と、メールするんですか?」
「うん。なんかあったときにメールしろって、初対面でアドレス交換したけど。それ以来メル友。ってかさ、あのおっさんロクなメール寄越さないんだけど。ちゃんと注意しといてよ。キリヤマさん、右腕なんでショ?」
 天羅の右腕と称されて、いつもならば誇らしいその言葉が今はなぜだか心に重い。
 屋敷に戻ったら天羅の携帯を没収してユリのアドレスを消そうか、でも天羅とメル友でなんだか嬉しそうな様子の彼女を見るとそれも忍びないし、そもそも天羅が壮絶にゴネるに決まっている。そう簡単に携帯電話を渡すとは思えない。
(実行するとすれば、ちょっとした運動を覚悟しないといけませんかね)
 ちょっと、屋敷が全壊するぐらいの運動を。
 キリヤマの脳内で色々な思いが去来する。だが現実問題として実行に移せそうなのはただひとつ。
「天羅に、節度を持ったメールを送るように進言しておきますね」
 その言葉にケラケラと笑うユリ。そして進言したところで同じように笑うだろう自分の主の姿が容易く思い浮かんでしまう。
 重い溜息をついたところで、キリヤマの悩みの種は消えてなくならないのであった。

        ゴウダは今頃くしゃみをしているはず。  了。


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